安平太守の王基の元を訪れると、王基は管輅に卦を立てさせた。管輅は、 「卑しい身分の女が男の子を産んだら、産まれたばかりの赤子が自分から竃まで走って飛び込んだ。 家の中に大蛇が筆をくわえていたが、まもなくどこかへ行ってしまった。 カラスが部屋の中に入ってきてツバメと喧嘩し、ツバメは死んでカラスは飛び去っていた。 このようなことがあったことが卦に出ている。」と言った。 王基は管輅が言ったことが全て的中していることに驚いてそれらの出来事の吉凶を質問したが、 管輅は過去の妖怪の出現談を引き合いに出して心配しなくても良いと伝えた。 管輅の言う通りその後凶事は起こらなかった。王基も占卜には通じていたので管輅から学ぶことは多かった。
王経が官を辞して故郷に戻っていた時のこと、 管輅が彼の元を訪れると王経は気になっていたことがあったので管輅に卦を立ててもらった。 「あなたが夜扉の前に座っていたとき、小鳥のような光が流れてきてあなたの懐に入ってゴロゴロと音を立てた。 驚いてご夫人を呼んで上着を脱ぎ、光が残っていないか一緒に探したのでしょう?」と管輅は答えた。 王経は笑ってその通りだと答えた。管輅はそれが近日中に昇格する吉兆だと伝えた。 まもなくして王経は江夏太守に任命された。
清河太守の華表は管輅を自分の元に招いて文学掾の官につけた。 後に推薦されて冀州の刺史に招聘され、治中別駕に昇進した。 248年には秀才に推挙された、同年何晏に招待され彼の屋敷に出向くと [登β][風易]も同席していた。 何晏は「あなたの立てる卦は神の如くだと言う。私が三公まで昇進できるかどうか見てくれないか? 最近毎晩のように青蝿が何十匹も鼻にたかりかかってきて追っても逃げて行かないという夢を見るのだが、 これは何を意味しているのだろう?」と管輅に尋ねた。 管輅は「万民が安らかに暮らすということは正しい政治を行ったことに対する吉祥です。 また鼻は高い位置にあるもの、すなわち貴顕の地位を表しています。 そこに蝿という醜悪なものがまとわりついて危うくしています。道に外れれば必ず失敗するという顕れです。 古の文王や孔子にならわなくては蝿を追い払うことは出来ません。」と答えた。 管輅の親戚の者がこの話を聞くと、管輅は言い過ぎだと批判したが、管輅は 「死人に何を言っても恐れ憚ることはない。」と答えた。明くる年、何晏と[登β][風易]は司馬氏に誅殺された。
魏郡太守の鐘毓の元を尋ねた際、『易』について議論となり話の流れで管輅は 「卜いによってあなたの誕生日と死ぬ日が分かります。」と言った。そこで鐘毓が自分の誕生日を卜わせたところ、 ぴったりであった。鐘毓は「あなたは恐るべき人だ。 しかし人の死は天に定められるものであってあなたが決めるものではない。」 と言い自分の寿命については卜わせなかった。続いて鐘毓は「天下は太平になりますでしょうか?」と聞いた。 卜いの結果管輅は「淵にあった龍が今まさに飛び立とうとしている。 神秘な武略を持った人物が権力を打ち立てます。」と答えた。 まもなく曹爽が倒され鐘毓は管輅の言葉の意味を悟ったのであった。
石苞が[業β]の典農であったときに管輅に尋ねてこう言った。 「あなたと同郷の擢文耀は姿を消すことが出来るそうだが、それは本当なのだろうか?」 管輅は「陰陽の原理を極めれば人体を万物の変化の中に遊ばせ、 金、土などの五行に分解して跡かたも無くすことなどは造作ないことだ。」と答えた。 石苞が「しっかりと陰陽を見通すと言う点ではあなたに勝るものはいない。 ならば何故あなたは姿を消さないのか?」と聞くと、 「大空を翔ける鳥はその清らかで高々とした環境を愛して長江の魚になろうとは思いません。 淵に住む魚はその湿潤な環境を愛して大空を飛ぼうとは思いません。それぞれの天分があるからです。 私の願いは身を正して道を明らかにし、己を直にして正義に親しむことであり、 陰陽の動きが見通せても、立派なことをしようとは思っていません。 ただ朝夕に物事の機微を探求してそれを復習するだけです。 意味もなく姿を消したり怪事を起こす暇などなのです。」と管輅は答えた。
255年のこと、弟の管辰は兄に向かって「大将軍の司馬昭 さまが兄上に目をかけてくださっています。富貴な身分も望めましょう。」と言った。長いため息の後 「私は自分にそうなっても良いだけの資質があることは知っているが、残念ながら天は寿命を与えてくれなかった。」 四十七か八の頃、娘が嫁に行き、息子が嫁を取るのを見ないままに終わるであろう。 もしこの時期をくぐり抜けられれば洛陽の令となって道端の落し物を着服する者もなく、 盗賊を知らせる太鼓が鳴らない政治を行いたいが、おそらく太山に行って死者を治めることになるだろう。」 と答えた。この年の8月に少府の丞となり、翌年の2月に48歳で亡くなった。 (魏書・管輅伝)
何晏に呼ばれて彼が三公になれるかどうか占い、彼らの傲慢さを諌めたが、 何晏らは管輅が狂っているとして相手にしなかった。親戚に非難されたことも「正史」と同じである。