諸葛亮が死ぬと蜀軍は退却したが、 魏延は退却を良しとせず部隊を率いて単独行動に出た。 楊儀 は馬岱に命じて部下が去って従者が数人まで減っていた魏延を漢中にて殺害させた。
最終的な位階は平北将軍、爵位は陳倉侯であった。 (蜀書・馬超伝、魏延伝)
劉備の死後、孔明の南征に従軍。濾水の毒気で兵をやられるが、 地元民の情報を得て夜に渡河を果たし、攻めかかった忙牙長 を討ち取った。内応の約束を取り付けてある董荼奴と戦って勝利し、 董荼奴は阿会喃と共に孟獲 を捕らえて孔明の元に差し出した。 次に孟獲は弟の孟優に宝物を持たせて降伏したと見せかけ、 内応を行おうとした。馬岱は孔明の指示のもと、孟優をだまして孟獲をおびき寄せ、 捕らえることに成功した。 五度目の戦いでは趙雲、魏延と協力して 祝融夫人をおびき寄せ、落馬させて捕らえた。 七度目では盤蛇谷に火薬を準備して潜み、兀突骨 の軍がおびき寄せられたところを焼き殺した。
孔明の北伐にも従軍し、曹真が西羌の応援を得ると、 羌の地理に詳しい馬岱は関興と張苞 を案内して西羌軍と戦い、雅丹を捕らえる活躍を見せる。 街亭で馬謖が敗れると孔明の指示で西城に 姜維と共に残り、空城の計で司馬懿を退かせた。 第四次北伐では曹真をおびき寄せる計略の一環で孔明の指示で魏軍に攻めかかるが、 討ち取ったのは費耀であった。
第五次北伐では[示β]山で魏延と共に渭水北岸を攻め上がるが迎撃してきた 孫礼に敗退。司馬懿が偽の降伏者を送り込んでくると、 孔明それを利用して攻めてきた秦朗を馬岱に破らせた。 その後孔明は上方谷に馬岱を潜ませ火薬などを準備して司馬懿の大軍を待ち伏せさせた。 ところが突然の豪雨で司馬懿は命拾いをした。
孔明の臨終で計を授かった馬岱は楊儀に反発して単独行動を行う魏延に同行。 楊儀が魏延に「俺を殺す者はいるか」と言わせると、「俺が斬る」と叫んで魏延を討ち取った。 成都に戻ると魏延の爵位を受け継いだ。その後は登場しない。
ならば平北将軍という高い位についているのは何故かと考えてみたのですが、 馬超が蜀に降った際、蜀王朝から見た馬超の利用価値は馬超の将軍としての能力以外に、 将来的に蜀王朝が雍州・涼州に攻め込む際に馬超の人脈・地理知識・名声 などを利用する点にもあったと考えます。 実際馬超は蜀王朝の涼州牧に任命されているので、 蜀が涼州を支配した際には涼州を治める役割を担ったはずです(少なくとも建前の上では)。 馬超が亡くなった後、馬超の役割を継いだのが馬岱だとすると、 蜀の将来の涼州の統治者として高位についていたと考えられます。 (もちろん単に活躍が伝わっていないか、私が資料を見つけていない可能性もあるのですが^^;)
馬超の威光を物語の中で受け継いだ馬岱は孔明の忠実な手足として大活躍します。 ただしあまりにも孔明の指示に従ってばかりで馬岱のキャラが見えてこないのは残念ですね。 (関興や張苞にも言えることです)