関興が死去するとその子の関統が後を継いだ。関統は劉禅 の娘をめとり虎賁中郎将にまで位は昇った。 関統が死ぬと子がなかったので関興の庶子であった関彝が爵位を継いだ。 (蜀書・関羽伝)
夷陵の戦いでは李異を討ち取り譚雄を捕らえる。 また敵に包囲されて危機に陥った黄忠を救うなどの活躍を見せる。 そして父の仇である潘璋 を探して道に迷い宿を借りるとそこには父関羽の肖像画があった。 偶然潘璋も同じ宿に迷い込み、関興と決闘となる。関羽の亡霊が現れ、驚いた潘璋を関興は討ち取る。 蜀軍が総崩れとなると深手を負い、趙雲に助けられた。
第一次北伐では夏侯楙を追い詰めて逃亡させ、 西羌の徹里吉の軍と戦う。 劣勢となり谷に落とされるがまたもや父の霊が現れて羌兵を蹴散らして道案内をしたおかげで関興と張苞は助かった。 街亭で馬謖が敗退すると蜀軍と共に退却した。
第二次北伐では[赤β]昭が病死した後の陳倉を攻め取り、 陰平に侵入した郭淮らを撃退する。 [示β]山に進み曹真を攻撃して大勝する。
231年の北伐から退却する際、魏延と共に後詰めを務め、 張[合β]を隘路に追い込んで射殺した。 234年の春に病死し、出陣中の諸葛亮はその場に昏倒した。
ちなみに関彝は「演義」では蜀滅亡後に鍾会らが反乱を起こし、 魏の兵士たちに殺されるという混乱の中で殺されたことになっていますが、「正史」では 関羽に殺された[广龍]悳の息子の[广龍]会 が関羽の子孫をこのときに根絶やしにしたとあります。 関統は「演義」では早死にし関彝が後を継いだとあるのみです。