関興 安国(かんこう あんこく)


姓:関
名:興
字:安国
生没年(?-?)
出身地:
親:関羽
子:関統、関彝

関羽の子。幼い頃から評価が高く、諸葛亮もその才能を高く評価していた。 関羽が死ぬと後を継ぎ、二十歳で侍中・中監軍となったが数年後に死去した。

関興が死去するとその子の関統が後を継いだ。関統は劉禅 の娘をめとり虎賁中郎将にまで位は昇った。 関統が死ぬと子がなかったので関興の庶子であった関彝が爵位を継いだ。 (蜀書・関羽伝)


「演義」では張飛の息子の張苞と共に大活躍する。 関羽が于禁を破るとその報告のために劉備の元に派遣される。 関羽が孫権に殺され、 劉備が弔い合戦を決意すると関興は張苞と先鋒を争って劉備の前で剣を抜く。 劉備は二人を一喝し、一年年長の張苞を兄として義兄弟の契りを結ばせた。

夷陵の戦いでは李異を討ち取り譚雄を捕らえる。 また敵に包囲されて危機に陥った黄忠を救うなどの活躍を見せる。 そして父の仇である潘璋 を探して道に迷い宿を借りるとそこには父関羽の肖像画があった。 偶然潘璋も同じ宿に迷い込み、関興と決闘となる。関羽の亡霊が現れ、驚いた潘璋を関興は討ち取る。 蜀軍が総崩れとなると深手を負い、趙雲に助けられた。

第一次北伐では夏侯楙を追い詰めて逃亡させ、 西羌の徹里吉の軍と戦う。 劣勢となり谷に落とされるがまたもや父の霊が現れて羌兵を蹴散らして道案内をしたおかげで関興と張苞は助かった。 街亭で馬謖が敗退すると蜀軍と共に退却した。

第二次北伐では[赤β]昭が病死した後の陳倉を攻め取り、 陰平に侵入した郭淮らを撃退する。 [示β]山に進み曹真を攻撃して大勝する。

231年の北伐から退却する際、魏延と共に後詰めを務め、 張[合β]を隘路に追い込んで射殺した。 234年の春に病死し、出陣中の諸葛亮はその場に昏倒した。


「正史」の諸葛亮が期待していたという僅かな記述がふくらんで、「演義」では大活躍を見せます。 関羽の霊に何度も助けられたりなど父の威光を背負った存在として張苞と共に描かれます。 諸葛亮の指図に全面的にしたがって敵将を討つ、という活躍のパターンが多く、 忠義、武勇以外の関興の人格の側面が「演義」に触れられないのはやはり虚構性の強い人物の悲しさでしょうか。

ちなみに関彝は「演義」では蜀滅亡後に鍾会らが反乱を起こし、 魏の兵士たちに殺されるという混乱の中で殺されたことになっていますが、「正史」では 関羽に殺された[广龍]悳の息子の[广龍]会 が関羽の子孫をこのときに根絶やしにしたとあります。 関統は「演義」では早死にし関彝が後を継いだとあるのみです。


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