楊秋(ようしゅう)
姓:楊
名:秋
字:
生没年(?-?)
出身地:
親:
子:
関中の軍閥の一つ。建安年間の初期、孔桂を度々使者として
曹操に送り、親交を深めた。
211年、馬超に従って他の軍閥と共に反乱を起こした。
連合軍が敗れると安定に逃亡してここで反抗を続けた。
同年10月安定を包囲されると降伏し、元の爵位を受けて安定の住民を慰撫した。
曹丕の時代に討寇将軍に昇進して郭淮
の指揮下で働き、後に位特進(三公に次ぐ名誉)となり、臨渓侯に封じられてそのまま寿命を迎えた。
(魏書・武帝記)
『演義』では韓遂の部下として登場。長安攻略で活躍する。
長安を確保した後、韓遂に和睦を進言し、曹操への使者となる。
賈[言羽]による反間の計が効果を上げ韓遂と馬超の間がぎくしゃくすると、
楊秋は韓遂に曹操への降伏を進言し、再び使者となる。
馬超敗退後、列侯に封ぜられ渭口の守りについた。
馬超に従って反乱を起こした軍閥の中で、珍しく曹操に降伏した後の実績が伝わっている人物です。
早くから曹操と連絡を取っているあたりは抜け目のなさを感じさせます。
郭淮の部下ということですから蜀との戦いにも参加していそうなものですが、
詳しい記述はありません。「正史」「演義」共に馬超の乱を生き延びた人物でもあります。
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