許貢(きょこう)
姓:許
名:貢
字:
生没年(?-?)
出身地:
親:
子:
盛憲を追い出して呉郡太守の座についた。
盛憲の部下であった高岱が盛憲をかくまい陶謙に救援を求めたので、
許貢は高岱の母を拉致した。しかし許貢は高岱と面会すると母を釈放して高岱を帰した。
その後後悔して部下を派遣して高岱を殺害しようとしたが、高岱は許貢の心を読んでおり、
遠く逃げた後であった。周[日禺]が袁術
に敗れて故郷の呉郡に逃げてくると、彼を殺害した。
許靖とは昔馴染みであったので、江南に逃げてきた許靖を
王朗と共に迎えた。
孫策が朱治
を呉郡平定のために派遣すると由拳で迎え撃ったが惨敗し、厳白虎
の元に身を寄せた。後に許貢は献帝に「孫策は武芸に長けた英雄で項羽と似ています。
恩寵をくわえて都にお呼びください。もし地方に放置すれば必ずや災いの元となります。」と上奏した。
しかしこれが孫策の斥候の手に落ちたため、孫策は許貢と面会し、その場で部下に絞め殺させた。
許貢の末息子と食客たちは許貢の仇を討とうと機会を狙っていた。孫策が狩りに出たとき、
孫策を射て負傷させた。食客たちは孫策の部下に殺されたが、孫策もその怪我が元で命を落とす。
(呉書・孫策伝)
『演義』では呉郡の太守として登場、「孫策に曹操打倒の意図あり」
という密書を曹操に送ろうとしたが、
孫策に見つかってくびり殺される。食客たちが敵討ちを行って孫策に怪我をさせるのは『正史』と同じ。
どういう背景の人物で、どういう力を使って盛憲を追い出して呉郡太守についたのかは全く分かりません。
あるいはこの地方の豪族だったのでしょうか。孫策とはとことん敵対し、ついには殺されますが、
息子や部下たちが命を顧みずに敵討ちをした点、この地方の名士であった盛憲や高岱との対立、
袁術との関係、など考え出すと複雑な人物に見えてきます。
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