韓忠(かんちゅう)
姓:韓
名:忠
字:
生没年(?-?)
出身地:
親:
子:
公孫康の使者。
公孫康は烏丸族の蘇僕を単于に封じようとして印綬を韓忠に届けさせた。
蘇僕はそのとき曹操の攻撃に遭っていた袁譚
に援軍を送ろうとしていた。
また曹操は牽招を派遣して蘇僕を懐柔し、単于に取り立てようとしていた。
会見の場で蘇僕が「かつて袁紹が、
そして今は公孫康と曹操が私を天子の詔により単于に取り立てようとしている。
私はいったい誰を信じればいいのか?」
と問うた。韓忠は「遼東郡は百万の兵を擁し扶余、[シ歳]貊(両方とも朝鮮半島の異民族)とも通じており、
現状から言ってなぜ曹操だけが正当と言えるのか。」
と論じた。牽招は公孫康を曹操に対する反逆者となじり、韓忠の首根っこを掴んで地面に押し付け、
刀を抜いて殺そうとした。蘇僕は驚いて韓忠の命乞いをしたため、韓忠の命は助かったが、
蘇僕は曹操から印綬を受けることを決め、韓忠は即座に送り返された。
(魏書・牽招伝)
「演義」には登場しない。
遼東公孫氏政権の人物と言うことで取り上げてみました。
ちなみに「演義」では同姓同名の人物が登場します。
黄巾の残党として宛に立て篭もりますが、朱儁と
劉備の攻撃を受けて、矢に当たって戦死します。
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