[萠リ]良 子柔(かいりょう しじゅう)
姓:[萠リ]
名:良
字:子柔
生没年(?-?)
出身地:荊州襄陽郡中廬県
親:
子:
前漢の名臣である[萠リ]通の子孫。[萠リ]越の兄でもある。
劉表が荊州刺史に任命されて宜城に乗り込むと弟の
[萠リ]越、蔡瑁とともに招かれて、
劉表の補佐役となった。そのとき劉表が「軍勢を集めたいが、宗族(宗教団体?)の力が強く、
民衆も従わず、袁術はこの混乱を利用している。どうしたら良いものか?」と聞くと[萠リ]良は、
「民衆がついてこないのは仁愛が足りず、治まらないのは信義が足りないからである。
仁義の道を実施すれば民は自ずからついてくる。」と答えた。劉表は[萠リ]良の答えを称えた。
(魏書・劉表伝)
「演義」では劉表の軍師として[萠リ]越を凌ぐ働きを見せる。
孫堅が袁術に命ぜられて荊州に攻め込んだとき、
[萠リ]良は黄祖に江夏の兵を率いさせて先鋒に、
荊州の軍を後詰めとして孫堅に備えさせたが、
黄祖が撃破されると守りを固めるよう劉表に進言した。
ところが蔡瑁は[萠リ]良の反対を押しきって孫堅に戦いを挑み、大敗して戻る。
[萠リ]良は蔡瑁を軍律に合わせて死刑にしようとするが、劉表は蔡瑁の妹を後妻としてもらったばかりだったので、
蔡瑁は命が助かった。襄陽は孫堅軍によって包囲される。
しかし[萠リ]良は天文を見て孫堅の死を悟り、袁紹
に助けを求める振りをして硯山の上に登り、
岩と弓矢で追いかけてくる孫堅を殺すよう呂公に命じた。
この計略は見事的中し、孫堅は命を奪われる。
孫策は捕虜にしていた黄祖と父の亡骸を交換するよう申し出た。
[萠リ]良はこのチャンスに呉に攻め込むべきだと進言したが、劉表は旧友の黄祖を見捨てられず、
この計画は実現しなかった。後に張繍と共に劉表が曹操と戦った際、
賈[言綻
の計略によって曹操は宛城の包囲を解いて退却する羽目になった。
このとき[萠リ]良は劉表に総力を挙げての追撃を進言するが、
劉表は孫策が荊州を狙っている、という曹操側の偽情報に迷い、決断できなかった。
劉備が劉表に厄介になっていたころには既にこの世を去っていたという。
「正史」では劉表に助言をしたエピソードしか記載されていませんが、
「演義」における[萠リ]良は「正史」における[萠リ]越の軍師としての一面を引き継いでいるように思えます。
[萠リ]越は親曹操派であったため、「演義」では蔡瑁の劉備暗殺に同意したり、
劉jを曹操に降伏させて劉jは殺されるが[萠リ]越は厚遇される、つまり保身を図った、
という風に悪役として描かれます。しかし[萠リ]越の知略で劉表は荊州を手に入れたのであって、
その知略を誰かが代行しなければならなかったのです。それが「正史」では平凡ではあるものの、
正論を吐いた[萠リ]良の「演義」での役回りであるわけです。
「正史」では孫堅は黄祖の配下の兵に射殺されたとしか書いてありませんが、
「演義」では様々な脚色がされており、[萠リ]良にも活躍の場が与えられます。
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