呉蘭(ごらん)
姓:呉
名:蘭
字:
生没年(?-218)
出身地:
親:
子:
217年10月、張飛・馬超
に従って下弁郡に侵入した。翌年張飛は固山に駐屯し、
曹洪を挟撃しようとした。
曹洪は曹休の勧めで呉蘭を急襲した。
呉蘭は曹洪に敗れ、配下の武将である任キを討ち取られた。
3月に漢中に撤退したが、陰平郡の羌族の強端に討ち取られ、
その首は曹操に送られた。
蜀書によれば劉備が218年に漢中に攻め込んだ際、
雷銅と呉蘭を別働隊として武都郡に侵入させたが、
曹操の軍により全滅させられた。
(魏書・曹休伝、蜀書・先主伝)
『演義』では劉璋配下の武将として登場し、
呉懿と共に[各隹]城の救援に向かう。
味方の冷苞を助けようとするが黄忠
に阻まれてできなかった。張任
の命令に従って雷銅と共に城を出て戦うが、退路を断たれて劉備軍に降伏した。
後に馬超に従って下弁に攻め込むが、曹洪に配下の任キを討ち取られて敗退する。
曹洪の援軍にきた曹彰と一騎打ちをし、討ち取られた。
呉懿の年下の親戚という固定観念がありましたが、
『正史』には劉璋配下だったという記述は見当たりません。
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