於夫羅(おふら)
姓:於
名:夫羅
字:?
生没年(?-?)
出身地:?
親:
子:劉豹
南匈奴の単于。中平年間(184-189)に漢王朝が匈奴の兵を徴兵したときに於夫羅は協力した。
のち南匈奴が反乱を起こしたため軍を率いて中国に入った。反董卓の軍が起こされると
張楊とともに袁紹に味方したが後に反逆を計り、
袁紹配下の麹義に攻撃されたため
張楊を連行したまま黎陽まで退いた。
192-3年には黒山賊や袁術と連携して度々曹操
と戦火を交えた。その後も白波賊と連携して河東郡に居住し付近を荒らしまわった。(魏書・武帝記)
「演義」には登場しない。
河東郡に居住した、ということは騎馬民族である匈奴にとっては自分たちの生活様式を捨て、
漢人化したということに繋がってきます。
才能高き蔡文姫
を捕らえて息子の劉豹の妻としたことも中国文化を取り入れるのに役立ったでしょう。。
孫の劉渕が晋王朝を倒して漢の国を立てるまでに至ったのも於夫羅の先見の明のおかげかもしれません。
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