何太后(かたいこう)
姓:何
名:?
字:?
生没年(?-189)
出身地:
親:
夫:霊帝
子:劉辨(少帝)
後漢の大将軍何進の異母妹。霊帝の後宮に入って劉辨(少帝)を生み、
皇后に立てられた。
霊帝が崩御し、少帝が即位すると皇太后となり、朝政を執った。何進は部下の袁紹
らと共に宦官たちの抹殺を計画したが何太后は承知しなかった。
董卓が洛陽に招聘されると少帝は皇帝の座から降ろされ、何太后と共に毒殺された。
(魏書・董卓伝)
「演義」では「正史」を元によりドラマチックに脚色されている。
宮中に入って皇帝の子供を生んだおかげで兄の何進も出世していく。
霊帝が王美人に劉協(献帝)を生ませると、
これに嫉妬して王美人を毒殺する。霊帝の母である董太后
は劉協を引き取って育てた。
このような事情と劉辨を立てた何進派と董太后を立てる宦官派の対立が合わさって、骨肉の争いが宮中で展開される。
張譲ら宦官派は董太后の兄の董重
を驃騎将軍の位につけ自分達も朝政の掌握を計る。
何太后が宴会の席で女性は政治に口を出すべきではないと董太后を批判すると、
董太后は王美人を毒殺した嫉妬の鬼が何を言う、と反論する。
怒った何太后は何進と相談し、翌朝の朝議で董太后を洛陽の郊外に移すことを奏上させた。
何進は董太后を監禁し、董重の屋敷を包囲し、董重は自決した。
事が破綻すると張譲らは何進派に金品を送り、保身を確保した。
しかし、何進の宦官抹殺計画が露見し、何進が殺されると後ろ盾を失う。袁紹らが宮中に乱入し、
混乱のさなかで董卓が洛陽入りし少帝の廃立を行うと永安宮に監禁される。
董卓の謀臣の李儒が持ってきた董卓の相国就任の「祝いの酒」を飲むのを拒み、
「董卓には必ず天罰が下ろうぞ」と言うと、李儒に二階から突き落とされた。
計算高く、強情で権勢欲の強い女性として小説などでは描かれていることが多いです。
美人であったことは間違いないようですが、傾国の美女であったとも言えるでしょう。
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