韓玄(かんげん)
姓:韓
名:玄
字:
生没年(?-?)
出身地:
親:
子:
曹操が荊州を平定した後に長沙太守に任命され、
裨将軍の黄忠を配下に持った。
劉備の征討を受けて降伏した。
(蜀書・先主伝、黄忠伝)
「演義」では劉[王宗]が荊州を治めていたときの長沙太守として登場。
短気ですぐ人を殺したので人から恨まれていたという。
魏延は劉備に襄陽を引き渡すために文聘と戦うが、
敗れて韓玄を頼る。
関羽が五百の兵を率いて長沙に攻め寄せると韓玄は黄忠に相手をさせた。
関羽と黄忠は一騎打ちとなり、落馬した黄忠に関羽はとどめを刺ささなかった。
恩義を感じた黄忠は翌日の戦いで関羽に兜の緒を射たが、関羽の命は狙わなかった。
ところが韓玄は黄忠が裏切ろうとしていると勘ぐり黄忠を死刑にしようとした。
刑が執行されようとするとき、魏延が歩み出て将兵を扇動し、逃げようとしたところを魏延に斬られた。
「演義」では何故か人格に欠陥のある人物として描かれていますが、
「正史」の記述からはその性格や能力を判断できるような記述はありません。
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