[赤β]普 子太(かくふ したい)


姓:[赤β]
名:普
字:子太
生没年(?-?)
出身地:荊州義陽郡
親:
子:

劉備により零陵太守に任命された。荊州の所属をめぐって呉と蜀が対立したとき、 関羽は呉が送り込んだ長沙、零陵、桂陽の長官たちを追い払った。 そこで孫権呂蒙 に兵二万を率いさせて荊州に攻め込ませた。 [赤β]普は呂蒙の降伏勧告をはねつけて零陵に立て篭もって抵抗した。 関羽が救援に向かおうとしたため、孫権は魯粛を関羽の押えのために差し向け、 呂蒙にも魯粛を助けるように命じた。 零陵攻略を急がねばならない呂蒙は[赤β]普と幼なじみの[登β]玄之を城内に派遣して、 「劉備は漢中で夏侯淵の包囲を受けており、関羽は孫権と対峙していて援軍は来ない。 忠義を貫こうという気持ちは素晴らしいが、 あなたは外の情報を知らないからこのような立場に身を置く羽目になってしまっているのだ。」 と言わせた。そこで[赤β]普はやむなく呉に降伏した。 呂蒙は孫権からの手紙を[赤β]普に見せて手を打って笑った。そこには劉備は公安におり、 関羽は益陽にいるということが書いてあった。[赤β]普は恥じて後悔し、床に突っ伏した。

230年、魏から偽の投降をしていた隠蕃 のことを廷尉であった[赤β]普は大いに誉め称え、隠蕃が不当に低い地位にあると言いふらした。 後に隠蕃が謀反を起こして捕らえられると[赤β]普は問責を受け、自殺した。 (呉書・呂蒙伝、胡綜伝)


「演義」には登場しない。
呂蒙にだまされて蜀からは裏切り者扱いを受け、 「埋伏の毒」であった隠蕃を信用して自殺に追い込まれてしまう、なんとも不幸な人物です。 乱世にて政治家、軍人として生きるにはお人好し過ぎたのでしょうか。
リストへ戻る