俄何焼戈(がかしょうか)
姓:
名:
字:
生没年(?-247)
出身地:羌
親:
子:
247年、隴西、南安、金城、西平の各郡の羌族の長である俄何、焼戈、伐同、
蛾遮塞などが一斉に蜂起し、南方から蜀の軍兵を招き入れた。
はじめ夏侯覇が討伐に向ったが郭淮
は姜維が夏侯覇を攻撃することを予想し、
夏侯覇を助けたので姜維は退却した。俄何、焼戈らは郭淮の軍と戦い、討死した。
(魏書・郭淮伝)
『演義』では俄何焼戈という名前で登場。羌族の王である迷当
は蜀の郤正から進物を受けると、部下の俄何焼戈に命じて南安を攻撃した。
魏の陳泰は偽って俄何焼戈に投降し、
俄何焼戈軍を落とし穴に誘導して殲滅した。俄何焼戈は自殺した。
「正史」では二人なのに「演義」では一人の人物になってしまった変わった例です。
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