三国志重箱の隅其の四 〜 三つの愛のものがたり


徳と色と

後に魏の重鎮となる許允は妻となる阮氏の顔を初めて見たときその醜さに愕然とし、 婚礼が終わった後も二度と妻の部屋に入る気がしなかった。阮氏が使いの者に様子を見に行かせると、 「桓という方がいらしています。」と答えた。すると阮氏は 「それは桓範さまでしょう。きっと部屋に入るように勧めてくれるでしょう。」 と答えた。ほどなくして桓範は許允に部屋に入ることを勧め、許允は部屋に入ってきたがすぐに立ち上がった。 阮氏は許允の裾をつかんで引き止めた。許允は 「妻には四つの徳(婦徳・婦言・婦容・婦功)がなくてはならないが、お前はいくつ持っている?」と言うと 「私に欠けているのは容貌だけです。ところで男には『百の行い』(『詩経』より)が存在しますが、 あなたはいくつお持ちですか?」と質問した。許允は「全部持っている」と答えた。 「百の行いのうち、徳が筆頭に位置します。あなたは色(美人)はお好きですが徳はお好きではありません。 どうして全部持っていると言えるのでしょうか?」と阮氏が反論すると許允は気恥ずかしい様子を示し、 阮氏の非凡さに感じ入った。こうして許允と阮氏はいつも仲良く、尊敬しあう夫婦となったのである。

Necrophilia

夏侯淵の甥である夏侯尚 は冀州平定戦から魏の戦闘に参加し、後に荊州刺史を務め上庸平定に際して 献策したり、江陵の朱然を攻撃して功績があった。 夏侯尚は曹一族の娘を正妻に娶っていたが、 それとは別に本当に愛していた妾がいた。この妾を愛する余り正妻への愛は薄れていた。 これを憂慮した皇帝曹丕はその妾を刺客を用いて暗殺してしまった。 夏侯尚は悲嘆のあまりに呆けてしまい、愛妾を埋葬した後も、 思慕の気持ちを押さえきれずに墓を掘り起こして妾の顔を見るという有様であった。 曹丕はこの話を聞いて夏侯尚のことを軽蔑したが、それでも夏侯尚への恩寵を忘れなかったという。

奸雄のたった一つの後悔

曹操の最初の正妻であった丁夫人には子供が無く、 先に無くなった劉夫人の子供であった曹昂を実の子供のように可愛がり、 育てていた。その曹昂が宛城で張繍の軍にに殺されると、 節度も無く号泣して手がつけられなかった。 曹操は腹を立て、彼女を里に帰して気持ちが折れるのを待つことにした。 後に曹操が丁夫人の元を訪れると、彼女は機織りの最中であった。召使いが「曹操様がおみえです」 と言っても黙って機を織り続けていた。曹操は部屋に入り彼女の背中をさすって 「こっちを向きなさい。一緒に車で帰ろう。」と言ったが振り向かなかった。 曹操は後ずさりして戸の外に立つと「まだ許してくれないのかね」と言った。 答えは無かった。「じゃあ、本当にお別れだ。」と言って曹操は去り、離縁となった。 曹操は後年自分の死を間近にして「私はずっと自分の思った通りにしてきて、 自分の心に背いたことは一度も無かった。しかしもし霊魂というものがあって子脩(曹昂の字)に 『私のお母さんはどこにいますか』と言われたら私はなんと答えたらよいのだろう。」 と語ったという。
ホームへ戻る