夏侯楙 子林(かこうぼう しりん)


姓:夏侯
名:楙
字:子林
生没年(?-?)
出身地:
親:夏侯惇
子:

夏侯惇の次男。武略に暗く、金儲けの好きな人物であったという。 曹操の娘である清河公主と結婚した。 曹丕と幼なじみで、曹丕が帝位に即くと安西将軍となり、 夏侯淵の後を継いで関中の諸軍を統率した。

諸葛亮の一回目の北伐の際に魏延は 「夏侯楙は年若く臆病で策のない男と聞く、私が五千の兵を率いて子午谷を通り、 長安を急襲すれば夏侯楙は必ず逃げ出し、長安を手に入れることが出来る。」と諸葛亮に進言したが、 危険な策を避けたかった諸葛亮はこの案を採用しなかった。

228年、曹叡が西方征伐に赴いた際に夏侯楙を都に召し返して尚書に任命した。 夏侯楙は関中にて多くの側室や妾を養っていたため清河公主との仲が悪くなった。 この後、夏侯楙の弟達は礼儀を踏み外すような行いが見られ、夏侯楙は弟達を叱責した。 弟達は処分を恐れて夏侯楙の罪をでっち上げて清河公主に上奏させたため、夏侯楙は逮捕された。 しかしその後の調査で弟達の陰謀が発覚したため夏侯楙は死を免れた。 (魏書・夏侯惇伝)

「演義」では夏侯淵の息子で夏侯惇の養子となり家督を継いだ。短気でけちな性格として描かれており、 一回目の北伐に出た諸葛亮を迎撃すると名乗り出たが、王朗は実戦経験の無さを指摘した。 趙雲に配下の韓徳を討ち取られ、 程武の策を用いて趙雲に反撃するが、 関興張苞の援軍に敗れ。南安に逃げ込む。 太守の崔諒とともに反抗するが、孔明の計略により夏侯楙は捕らえられる。 天水の武将、姜維の才能を見抜いた孔明は夏侯楙を釈放して天水に行かせ、 偽の姜維を仕立てて城外にいた姜維が裏切ったように見せかけた。結果として姜維は蜀に降り、 天水も開城したため、夏侯楙は羌族の地へと逃げていった。


「演義」ではかなりの道化役で孔明にコテンパンにしてやられ、姜維を捕らえるダシにされたあげく、 最後は行方不明となってしまいます。
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