李堪(りかん)


姓:李
名:堪
字:
生没年(?-211)
出身地:司州河東郡
親:
子:

関中の軍閥の一つ。千家余りの勢力を誇っていた。 211年、馬超に従って他の軍閥と共に反乱を起こした。 曹操は計略で馬超と韓遂の仲を裂くと、 戦いを挑み連合軍を破った。この戦いで李堪は戦死した。 (魏書・武帝記、張魯伝)
『演義』では韓遂の部下として登場。長安攻略で活躍する。 離間の計で仲違いした馬超と韓遂に曹操軍が攻めかかり、 于禁が馬超を狙って矢を射掛けるとこれが李堪に当たり、 落馬して死亡した。
「演義」では于禁に殺される李堪ですが、「正史」ではただ戦死したとあるのみで、 どのように死んだかは分かりません。
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