王渾 玄沖(おうこん げんちゅう)
姓:王
名:渾
字:玄沖
生没年(223-297)
出身地:
親:王昶
子:王済
魏に仕え、越騎校尉として晋への禅譲を迎えた。279年、呉討伐戦に安東将軍として参加。
王渾の軍は呉の丞相の張悌、
丹陽太守の沈瑩を討ち取る活躍を見せた。司徒(国務大臣)まで昇進した。
「演義」では晋の侍中として初登場。司馬炎
の呉討伐を孫晧は晋討伐の準備をしていて、
意気揚々としているので1年我慢するよう進言したが、後に司馬炎は結局実行された。
「演義」では張悌、沈瑩を討ち取ったのは王濬
の軍だということになっていて、王渾の手柄はありません。
『晋書』あたりに王渾の詳しい事績が載っているのでしょうが…。日本語訳が早く出ませんかねぇ。
リストへ戻る