王濬 士治(おうしゅん しち)


姓:王
名:濬
字:士治
生没年(206-285)
出身地:司州弘農郡湖県
親:
子:

巴郡太守、広漢太守、益州刺史と昇進した。279年、晋が呉討伐に乗り出した際は大軍を率いて益州を出、 長江を下った。連戦連勝で王濬の軍は建業を落して孫晧を降伏させた。 (呉書・孫晧伝)

「演義」でも益州刺史として登場し、「孫晧の暴虐は好機です。益州で軍船を作り続けて七年、 呉に賢明な主が立っても、船が朽ち果てても、七十になった私が死んでも、呉の討伐は難しくなるでしょう。」 と上奏して司馬炎に呉討伐を決断させた。晋軍はまさに「破竹の勢い」で進軍し、 王濬は建業一番乗りを果たして孫晧を捕らえた。


「正史」でも「演義」でも少しだけしか登場しませんが、 「晋書」にはおそらく彼の活躍が詳しく書かれているでしょう。そのうち中国語を勉強して調べてみたいものです。
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