若い頃から劉備とは旧知の仲であり、劉備に従って転々とした。 劉備が荊州に入ると従事中郎となり劉備の話し相手や使者を務めた。 劉備が益州に入ると劉璋の元に使いし、劉璋に気に入られた。 後に劉備が成都を包囲すると簡雍は劉璋の説得にあたり、 劉璋はこれに応じて簡雍と同じ輿に乗って城を出て降伏した。昭徳将軍に任命された。
干ばつが起きたので酒の醸造を禁止し、役人は醸造道具を没収してその家の者を酒を作ったのと同罪にしようとした。 簡雍は劉備と散策に出かけたおり、一組の男女が一緒に歩いているのを見かけた。簡雍は 「あの者たちは淫らなことをするつもりです。なぜ捕まえないのですか?」と言った。劉備は 「なぜそうだと分かるのかね?」と尋ねた。簡雍は 「彼らはそのための道具を持っています。酒を醸造するつもりの者と同じです。」と答えた。 劉備は大笑いして醸造道具を持っていた者を許したという。 (蜀書・簡雍伝)