韓嵩 徳高(かんすう とくこう)


姓:韓
名:嵩
字:徳高
生没年(?-?)
出身地:
親:
子:

若い頃から学問好きで、貧乏をいとわず学業に励んだ。世の中の混乱を察知して三公の命令に従わず、 知人と共に山中に暮らした。黄巾の乱が起きると南方に避難し、劉表 に迫られて別駕、後に従事となった。劉表が天子のみに許される天地を祭る儀式を行ったとき、 韓嵩は劉表を諌めたので劉表との仲がうまくいかなくなった。

官渡の戦いのさなか、袁紹 は劉表に救援を要請したが劉表はこれを承諾しながら出発せず、 かといって曹操の味方を表明するわけでもなかった。 韓嵩は劉先と共に 「曹操と袁紹の両方に味方せずにいると双方から恨みを買います。 二人の人物を比較しても、天子を擁しているという観点から見ても曹操につくべきでしょう。」 と劉表に進言した。劉表は迷った挙句に韓嵩を曹操の元に派遣して実情を視察させた。 韓嵩は許昌に出向き、朝廷から侍中と零陵太守に任命された。 戻った韓嵩が朝廷や曹操のことを誉めると、劉表は韓嵩を裏切り者として殺そうとしたが、 周囲の静止にあって思いとどまった。

劉表が病没すると[萠リ]越傅巽 らと共に劉[王宗]に曹操へ降伏するよう説いた。 劉[王宗]は曹操に降伏し、韓嵩は大鴻臚に取りたてられた。 (魏書・劉表伝)


「演義」でもほぼ同じ。劉表の臣下として登場して曹操の元に派遣されるが、 戻ってきて曹操への帰順を説くと投獄された。曹操が荊州を平定すると助け出された。
親曹操派の人物ですが曹操に仕えた後の記述は「正史」には見当たりません。
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