その後主導権争いが勃発し、樊稠は殺害された。 郭[シ巳]は李[人寉]と長安の城内で何ヶ月にも渡って戦闘を行ったため、死者は万単位に登った。 李[人寉]が献帝を人質に取ると、郭[シ巳]は大臣たちを人質に取ってこれに対抗した。 李[人寉]が楊奉に叛かれて弱体化すると、張済の仲介により和睦した。 しかし献帝が洛陽に向かうと、郭[シ巳]はこれを追い、楊奉、董承らの軍に撃退された。 すると郭[シ巳]は李[人寉]と協力して楊奉、董承、 白波賊の李楽らの軍勢を打ち破ったが、献帝は取り逃がした。
後に[眉β]において部下の五習に襲撃されて殺された。(魏書・董卓伝)
『典略』によれば、李[人寉]は郭[シ巳]を酒宴に招待し、ときには泊まらせた。 郭[シ巳]の妻は、郭[シ巳]がそこで妾を得て自分への寵愛が減ることを心配した。 そこで李[人寉]との仲を裂きたいと考えた。ある日李[人寉]から贈り物が届いた。 郭[シ巳]が食べようとすると妻はみそで作った薬をその中にこっそりと入れ、 それを取り出して「両雄並び立たずと言います。私はあなたが李[人寉]将軍と仲良くされていることが心配です。」 と言った。その後郭[シ巳]は李[人寉]の開いた酒宴で酒を振舞われたが、 郭[シ巳]は解毒のために糞を絞って飲んだ。これにより李[人寉]と郭[シ巳]の不和は決定的となった。
『英雄紀』によれば長安を攻めた際、呂布は郭[シ巳]に一騎打ちを申し込み、呂布は矛で郭[シ巳]を刺した。 部下が郭[シ巳]を助け出したため一命を取りとめた。