魏諷 子京(ぎふう しけい)
姓:魏
名:諷
字:子京
生没年(?-219)
出身地:徐州沛国(別説には済陰郡)
親:
子:
民衆を扇動する能力に巧みであったという。
鐘[揺系]に推挙されて曹操に仕えた。
曹操が漢中に遠征して劉備と戦った隙を利用して徒党を組み、
陳[示韋]と共謀して[業β]で反乱を起こそうとしたが、
決行の数日前に陳[示韋]が曹丕に密告したため、捕らえられて処刑された。
魏諷の反乱に荷担して死刑になった者:宋仲の息子、
張繍の息子張泉、王粲の二人の息子、
劉[广異]の弟の劉偉
魏諷の反乱に荷担して逮捕された者:文欽(父の功績のお陰で死刑を免れた。)
連座して免職された者:鐘[揺系](相国のポストを免ぜられた。)
連座して左遷された者:楊俊
(自分の責任として自らを弾劾し、中尉から平原太守に左遷された。)
魏諷がやがて謀反を起こすであろうと予言した者:傅巽、
劉曄
(魏書・武帝紀)
「演義」には登場しない。
当時の[業β]において有名人であったようです。
連座して処刑された者も多いことからかなり大規模な反乱が計画されていたようです。
しかしながらどんな人物だったかについては伝わっていません。
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