王允 子師(おういん しし)


姓:王
名:允
字:子師
生没年(137-192)
出身地:太原郡[示β]県
親:
子:

「王佐の才」と評された名士。黄巾の乱では豫州刺史として活躍した。何進の宦官虐殺作戦にも参加した。 董卓の専制のもと、司徒(首相)を務めた。董卓配下の 呂布、尚書僕射の士孫瑞 と協力して董卓を暗殺することに成功した。ところが賈[言綻 の進言に従った李[人寉]郭[シ巳] に長安を攻撃され、捕らえられて打ち首になった。(魏書・董卓伝)

「演義」でも董卓暗殺の仕掛け役。家の歌手の貂蝉を用いた、 連環の計を謀る。呂布に貂蝉を側に置くよう進め、なおかつその後董卓に貂蝉を献上する。 貂蝉が三角関係をうまく演じて呂布を嫉妬させ、王允は呂布に董卓殺害を勧める。 この計略により董卓の野望は潰えた。

王允は高名な学者の蔡[巛邑]が董卓の死を聞いて泣いたので, その罪を問い殺してしまった。その理由として「前漢の武帝は司馬遷を殺さなかったばかりに、 『史記』にくだらないことを書かれた。いま蔡[巛邑]を殺さないと我々が後世の誹謗を受けることになる。」 と言った。名士の王允にしてはおかしな発言だと、裴松之は疑問をはんでいる。


王允の評価は「正史」「演義」ともに蔡[巛邑]への態度のせいで微妙なため、 現代日本における三国志の小説、漫画でも評価が分かれるところです。 もし娘を本当に呂布と董卓の間に送り込んだのなら父親としては許し難いですが、 「演義」では家の踊り子で娘同然に可愛がっていたという設定なので分かるような気もします。
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