金尚 元休(きんしょう げんきゅう)


姓:金
名:尚
字:元休
生没年(?-?)
出身地:雍州京兆郡
親:
子:

京兆郡ではかなりの有名人で、第五文休、韋休甫と共に「三休」と並び称された。 献帝が帝位についた頃、[亠兌]州刺史に任命されて現地に赴任するが、 曹操がすでにかの地を支配しており、封丘で交戦して破れ、 仕方なく南方に向かい、袁術の元に身を寄せた。 袁術が皇帝を名乗ると、金尚を太尉に任命しようとしたが、 袁術は直接言い出さずに人を遣ってそれとなく言わせた。 金尚は迎合しなかったので袁術も無理強いはしなかった。 後に郷里に逃げ帰ろうとして捕まり、袁術により殺害された。 後に彼の遺骸が献帝に届けられると、彼の忠義を賞賛しその死を悼み、金尚のことを祭った。 (魏書・呂布伝)
『演義』では[亠兌]州刺史として登場し、袁術が呂布討伐に向かう際に、 兵糧輸送の監督を命ぜられるが、この任務を拒否したため殺された。
献帝は金尚のことを忠義の士として称えましたが、何を根拠にそこまで入れ込んだのかがよく分かりません。 皇帝を僭称した袁術に一時的にでも身を寄せていた人物なのですから。。。 あるいは曹操に歯向かったことが献帝の同情と親近感を得たのかもしれません。
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