韓融 元長(かんゆう げんちょう)


姓:韓
名:融
字:元長
生没年(?-?)
出身地:豫州潁川郡
親:
子:

陳寔を師として仰ぎ、荀爽王烈らとともに彼の門下で学んだ。 陳寔が亡くなると子孫の取るべき三ヶ月の喪に服して師匠の死を悼んだ。 董卓が政権を握ると許靖の計らいで荀爽、陳紀らと共に昇進した。 李[人寉]が政権を握ると太僕(天子の行幸や車馬を司る大臣) であった韓融は献帝の脱出にお供した。このとき従うものは十数人だったという。 弘農に派遣されて李[人寉]と郭[シ巳]の和睦を成立させ官女、公卿百官、 車馬などを取り返した。 (魏書・武帝記など)
「演義」でも漢王朝の太僕献帝の逃亡に途中で追いつき、楊彪と共に李[人寉]、 郭[シ巳]の撤兵と役人や女官の返還交渉を成功させる。
後漢後期の名士であり、献帝の苦難に付き添った大臣です。
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