韓胤(かんいん)
姓:韓
名:胤
字:
生没年(?-196)
出身地:
親:
子:
袁術は呂布と結ぶため、
呂布の娘を自分の息子の嫁にもらうこととなった。
韓胤は使者として呂布の元に向かい、嫁を迎えると共に袁術が皇帝を称号するいきさつを説明した。
ところが呂布は陳珪に説得されて同盟を思いとどまり、
娘を連れ戻して韓胤を捕らえて許に護送した。韓胤はさらし首となった。
(魏書:呂布伝)
「演義」では劉備討伐を企む袁術に楊大将
が劉備と呂布と仲違いさせておこうと袁術に進言するところで登場する。
韓胤は呂布への使者となって二十万石の粟を届けた。
次に紀霊が『仲違い自滅の計』を袁術に進言し、
呂布の娘と袁術の息子の婚姻を勧めると、韓胤は使者と仲人を兼ねて再び呂布の元に赴く。
呂布の軍師である陳宮はこの計略を見ぬいていたが、
劉備を除くために韓胤に協力し、呂布に進言して結婚の日取りを早めさせ、娘は袁術の元へ向かった。
ところが陳珪が「袁術が皇帝を僭称すれば呂布殿は逆賊の親類ですぞ」
と劉備を守るために進言すると呂布は娘を連れ戻し韓胤を捕縛した。
後に許昌に護送され市場で首を切られた。
呂布を巡る曹操、袁術による複雑な謀略戦の1プレーヤーとして登場しますが、
呂布の無方針さと袁術の無道の犠牲となります。
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