阮籍 嗣宗(げんせき しそう)


姓:阮
名:籍
字:嗣宗
生没年(?-212)
出身地:
親:阮[王禹]
子:阮渾

自由闊達な人物で、礼儀や風習に従うことをよしとしなかった。 荘子の思想に傾倒し欲のない人物であった。非常に親孝行であり、 服喪中は命を失う寸前までに痩せ衰えた。当時[亠兌]州刺史であった王昶 は阮籍を招いて会見したが、一日中言葉を交わすことは出来なかった。 王昶は阮籍を高く評価した。これを聞いた太尉の蒋済は 阮籍を招聘し尚書郎、後に曹爽の参謀となったが、病気を理由に故郷に戻った。 一年くらいして曹爽は処刑された。

司馬懿は阮籍を従事中郎の役職につけた。当時の人々は阮籍の才幹を知っており、 より重要な役目につけろという論調が強かったが、阮籍は多事多難な情勢を考え 昇進を望まずに給料のために働いているだけであった。歩兵校尉の職に空席があり、 料理場には多くの美酒と良酒を作れる腕の良い料理人がいると聞くとその役職につき、 仕事を忘れて思いのまま酒を飲んでいた。時には思いのままに馬車を走らせ、 わき道を通らずに一人で突っ走り、道が行き止まりになると泣きながら帰ってきたという。

阮籍は決して人をあげつらうようなことをせず、自然と高い評価を得るようになったが、 礼儀作法にうるさい何曾には徹底的に目の敵にされた。 しかし司馬昭が常に阮籍をかばったため寿命を全うすることが出来た。 (魏書・王粲伝)


『演義』には登場しない。
いわゆる『竹林の七賢』の一人です。彼の現世逃避の方法は酔っ払うこと。仲間で同じく 七賢のメンバーである劉伶と酒を酌み交わしていたといいます。 そんな無茶苦茶なやる気のない勤務ぶりでありながら、司馬懿から司馬昭までの三代の間、 重要ポストを歴任しました。なんともうらやましい人生なのですが、 彼の家が裕福な貴族であるが故に司馬氏からの庇護を受けられたという事情もあるのです。 金持ちの名族なのだからこそ竹林で遊んでいても生活していける訳です。。。
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