呂虔に招聘されて別駕(補佐官)となった。呂虔は民政をすべて王祥に任せた。
曹髦の時代に司隷校尉となり、曹髦には信任された。 260年に司空に昇進し、264年には大尉に任命された。 司馬昭が晋王に即位すると王祥は荀[豈頁] と共に司馬昭を訪れた。荀[豈頁]が司馬昭と会うときには拝礼すべきだと王祥に言った。 王祥は「彼は魏の宰相であり我々は魏の三公で、王と公の位階は一つしか 違わず、席次はほとんど変わりません。天子に仕える三公が簡単に他人に拝礼すれば魏の名誉を損ない、 さらには晋王さまの人徳も汚すことになるでしょう。」と答えた。結局荀[豈頁]は拝礼し、王祥は 丁寧に会釈をしただけだった。司馬昭は「今日になって始めてあなたの大きな愛顧の情がわかりました。」 と王祥に向かって言ったという。(魏書・呂虔伝、三少帝記)
「演義」では司馬昭が兄の子司馬攸 を嫡子に立てようと思ったときに反対した魏の大尉として登場。 司馬昭の臨終の際には世継ぎが司馬炎であることを確認して司馬昭をみとった。