王連 文儀(おうれん ぶんぎ)
姓:王
名:連
字:文儀
生没年(?-225?)
出身地:荊州南陽郡
親:
子:王山
劉璋の時代に蜀に入り、梓憧県の令となった。
劉備が侵攻してくると、王連は城門を閉じて降伏しなかった。
劉備はその心意気に感心して無理に圧力をかけようとはしなかった。劉備が成都を落すと県令を歴任し、
功績を上げたため、司塩校尉に任命され、塩、鉄の利益を管理して国庫を多いに潤した。
その後も出世が続いたが塩の取引は彼のものであった。
諸葛亮
の南征には一国の大黒柱がそのような危険な任務はするべきではないと反対したので、
孔明はすぐに南征に出発することが出来なかった。ほどなく病死した。
(蜀書・王連伝)
「演義」でも孔明に南征を思いとどまるよう諌めた。
義人であり、優れた経済感覚を持った文官だったようです。
孔明の南征に反対したのも持ち前の合理性からだったのではないでしょうか?
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