「演義」ではかなり違う役回りを演じる。関羽が 曹仁を打ち破って襄陽を落した際、 随軍司馬として登場し「陸口にいる呂蒙に対する対策が必要だ」と助言する。 さらに、「傅士仁と糜芳 が持ち場を守りきれないであろう」と進言した。 関羽は「潘濬の人柄なら大丈夫であろう。」と答えたが、王甫はさらに 「潘濬は利益に目がくらみやすいので趙累を荊州の守りにつけるべきだ」と進言した。 関羽はこれらの意見をこの場では取りいれなかった。
呉軍が荊州に進軍し、潘濬、糜芳、傅士仁らを降伏させると関羽は孤立して進退窮まり、 麦城に篭る。関羽は蜀を目指して落ち延びるが、呉軍に捕らえられた。 そのことを知った周倉は自刃し、王甫は城壁から飛び降りて死んだ。
もともと関羽は同僚に対しては非常に厳しい人間だった上に 「白米十万石を送ってこなければ死刑」という無理難題をふっかけられ、 その上関羽に信じられていないのであれば、自分の保身を考えるのも理解できるような気がします。
「演義」ではいろいろな人物を善悪に塗り分けていきました。 王甫はその過程でその事績を大幅に変えて伝えられたキャラクターの一人です。