何定(かてい)


姓:何
名:定
字:?
生没年(?-?)
出身地:豫州汝南郡
親:
子:

最初は孫権の側仕え(使い走り)の者であったが、のちに小役人となった。 上の者に取り入るのが巧みで、自分は孫権の側近だと上表して孫晧に仕えた。 穀物、酒類の買い付けの仕事に就き、自分の権力を振りかざして勝手に振る舞ったが孫晧には気に入られていた。

息子に李[冒力]の娘を嫁に迎えたいと李[冒力]に持ち掛けたが 断られたのでこれを恨みに思った。269年、殿中列将だった何定は讒言を行い、李[冒力]の一族を皆殺しにした。

孫晧は皇族の孫秀が夏口にあって兵権を握っていることを不安に思っていた。 270年、何定に命じて五千の兵を率いさせ、 夏口で巻き狩りを行わせた。不安に思った孫秀は晋に亡命してしまった。

また部将達に犬を買い集めさせたため、犬の値段は急騰した。犬一匹に兵士一人をつけて守らせ、 犬をつなぐ縄も高値が付き、犬に食べさせるウサギを乱獲してほとんど捕り尽くされてしまった。 人々はこれらは全部何定のせいだと恨みに思ったが、孫晧にはますます寵愛され、列侯に取りたてられた。 後に罪を得て死罪となった。(呉書・孫晧伝)

「演義」には登場しない。


典型的なおべんちゃら使いだったようです。大変な愛犬家だったようですが、 徳川綱吉同様後年の評価は芳しくありません。
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