関索(かんさく)
姓:関
名:索
字:
生没年(?-?)
出身地:
親:関羽
子:
「正史」にはその名を見ることが出来ない。
「演義」では関羽の三男。荊州が呉に攻め落とされると負傷して鮑家の荘園で静養していたが、
諸葛亮の南征の際に姿を現し、諸葛亮に先鋒に命じられる。
諸葛亮の指令で孟獲を捕らえるべく王平と共に出陣し、
孟獲と一騎打ちをしてわざと負けて孟獲を誘い、捕らえることに成功する。
その後も孟獲は何度も放たれたので関索は諸葛亮に従って転戦し、
あるときは諸葛亮が自ら囮となって孟獲をおびき寄せたときは諸葛亮の護衛を務めた。
関索の「演義」での登場はこれだけなのです。南征の後半にも登場しませんし、
その後の北伐にも全く姿を現しません。むろん「正史」にも名前が出てこない謎の人物です。
明の時代の「演義」の初版にも関索は登場せず、その後のテキストから登場するようになるそうです。
明の時代に刊行された「花関索伝」によれば劉備、関羽、
張飛の三人が義兄弟の契りを結んだとき、
お互いの妻子を殺して足手まといにならないようにする約束をしました。
ところが関羽の妻が妊娠していたので張飛は殺すに忍びず、その後生まれたのが関索でした。
花先生から武術を習って花関索と改名し、山賊の鮑家荘の娘、
鮑三娘を倒して彼女を妻にめとり、妻と一緒に孔明の南征に駆けつける、というストーリーです。
鮑家荘や鮑三娘といったネーミングは三国志演義には見られず、
むしろ水滸伝だとしっくりくるような名前ですが、
これもまた民間に長年根付いた三国志伝承の一つなのでしょう。
南蛮ゆかりの地には関索にまつわる遺跡や伝承が今でも多く残っているそうです。
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