郭純(かくじゅん)
姓:郭
名:純
字:
生没年(?-?)
出身地:
親:
子:
益州フ陵郡の太守。263年、魏が蜀を併呑すると武陵太守に任命され、フ陵の郡民を連れて武陵に進入し、
異民族を味方につけて武陵郡の酉陽県を攻撃したため、呉の領地であった武陵郡は大いに動揺した。
呉の鐘離牧は人々の反対を押し切って昼夜兼行の強行軍で二千里以上
(500キロ以上)の行軍を行い、
異民族の酋長たちを討伐した。このため郭純の軍勢は散り散りとなり、武陵は呉の手に帰した。
(呉書・鐘離牧伝)
(フ陵の「フ」はさんずいに「音」から「日」のまんなかの横棒を取った字)
「演義」には登場しない。
蜀を平定した勢いに乗って、異民族の多い武陵郡をも占領しようとした魏が武陵に送り込んだ武将です。
狙いとしては絶妙でしたが、異民族討伐のベテランだった呉の名将、鐘離牧に撃退されます。
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