郭循 孝先(かくじゅん こうせん)
姓:郭
名:循
字:孝先
生没年(?-253)
出身地:涼州西平郡
親:
子:
またの名を郭脩という。
平素より品行に優れ、そのことで有名であった。姜維が蜀軍を率いて郭循の郡を攻撃し、
郭循は捕虜となったが、姜維の脅迫に屈しなかった。劉禅は郭循を左将軍に命じた。
郭循は劉禅を刺殺しようと思ったが、側に近づく機会がなく、
慶賀の際に拝礼しつつ前に進んでもいつも周囲の者に止められていた。
そこで仕方なく費[ネ韋]が軍勢を率いて魏を討とうとして漢寿県(梓潼郡)まで進み、
酒宴を開いていた際に、気分良く酔っていた費[ネ韋]を刺し殺した。
(魏書・斉王紀)
「演義」には登場しない。
費[ネ韋]の最期自体が描かれていないため、「演義」には登場しません。
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