呉巨(ごきょ)
姓:呉
名:巨
字:
生没年(?-210)
出身地:
親:
子:
交州進出を狙っていた劉表は蒼梧太守の史[王黄]が死去すると
呉巨を蒼梧太守に任命し、交州刺史に任命した頼恭と一緒に交州へ派遣した。
しかし武猛一点張りの呉巨と彼に指図を受けることを快く思わない頼恭は仲違いし、
呉巨が兵を挙げて頼恭を交州から追い払った。
210年、孫権は歩隲
を交州刺史に任命して着任させた。交趾郡の士燮は歩隲に帰順した。
呉巨も表向きは帰順したが内心では服従の気持ちは無かった。
呉巨は歩隲に丁重に扱われた上、会見に誘われた。
そこで呉巨は歩隲の元へ出向いて行ったが会見の場で歩隲に斬られて死亡した。
劉備と呉巨は知り合いであり、魯粛が
劉[王奇]の弔問にかこつけて劉備を訪問し、
同盟を打診した際、劉備は最初「(曹操を避けて)蒼梧太守の呉巨の元に身を寄せるつもりだ。」
と答えた。魯粛は呉巨は僻地の平凡な人物でありいずれは併呑されてしまう。
それより呉を頼るべきだと諭した。
(呉書・士燮伝)
『演義』では魯粛が状況を探りに来た際、諸葛亮
が劉備が身を寄せる先として「呉臣」の名を挙げる。これは探りあいであり本心では呉との同盟を狙っていた。
劉表の野心により交州に派遣されましたが、僻地にて唯我独尊に振舞った武人です。
ただし士燮と違って時流を見る眼はなく、歩隲に騙されて殺されてしまいます。
劉備と知り合いというのは荊州にいた時期に関係があったのでしょうか。
リストへ戻る