阮[王禹] 元瑜(げんう げんゆ)


姓:阮
名:[王禹]
字:元瑜
生没年(?-212)
出身地:[亠兌]州陳留郡
親:
子:阮籍

若い頃に蔡[巛邑]から学問を習った。建安の年間に曹洪 は書記を任せようとして招聘されたが病気と称して従わなかった。 曹操の招聘を受けるとこれに応じて 陳琳と共に司空軍謀祭酒に任命され、国政に関わる文書や檄文を数多く作成した。 曹操が荊州を攻める際に劉備に与えた文書、 関中を攻める際に韓遂に与えた文書などが阮[王禹]の作だという。 この韓遂への文書は阮[王禹]が曹操に随行していた際に曹操から与えられた課題であったが、 阮[王禹]は馬上で原案を作り、曹操に差し出した。曹操は改訂すべき箇所を探したが一つも思いつかなかった。 212年に他の何名かの建安文士と共に疫病で没した。

曹丕は阮[王禹]の「書・記は見事で充分楽しめるものである」と評している。 (魏書・王粲伝)


『演義』には登場しない。
建安の七子の中でも、陳琳と似て実務文章で主にその才能を発揮した人物です。
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