王嗣 承宗(おうし しょうそう)


姓:王
名:嗣
字:承宗
生没年(?-?)
出身地:益州[牛建]為郡資中県
親:
子:

劉禅の時代になってから出仕し、次第に昇進して[シ文]山太守、安遠将軍になった。 羌族を統治し、人望厚く、国境地帯は彼の功績で安定した。 姜維の北伐では毎回馬や衣服、食料を供出したため多いに助かった。 後に北伐に同行したが流れ矢に当たって負傷し、数ヶ月後に亡くなった。 数千人もの羌族が葬儀に参列し、王嗣の親族と義兄弟の契りを結んだ。 (蜀書・楊戯伝)

「演義」には登場しない。


羌族の間では非常に人気の高かった人物のようです。 成都の西に隣接し、羌族の居住地にも近い[シ文]山郡が安定していたからこそ、 成都の人々は安心して暮らすことが出来たのでしょう。
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