王匡 公節(おうきょう こうせつ)


姓:王
名:匡
字:公節
生没年(?-?)
出身地:[亠兌]州泰山郡
親:
子:

財貨を軽んじて気前良く人に与え、任侠家であった。蔡[巛邑] とも仲が良かったという。何進に招かれ彼のために徐州で武器を入手して洛陽に送った。 何進が死ぬと故郷に帰ったが、後に平民から河内太守に抜擢された。 赴任すると書生たちに官民の罪過をこっそりと調べさせ、 何か見つかると逮捕して取り調べを行い、金品や穀物を保釈に供出させたという。 董卓に打ち破られると泰山に逃げ帰り、 若者を数千人集めて張[L貌]と合流するつもりであった。 反董卓の連合軍が挙兵すると董卓は袁紹 を説得するために王匡の妹婿である胡母班を派遣したが、 袁紹は王匡に命じて胡母班を殺させた。それが原因で胡母班の親戚とそれを裏で操った 曹操の手の者に暗殺された。 (魏書・袁紹伝、武帝記、常林伝)

「演義」でも河内太守で反董卓の十七諸侯のひとり。


河内を董卓に追い出されても故郷の泰山ですぐに何千人もの部下を集められるとは、 かなりの人脈と人気があったようですが、それだけに袁紹や曹操に警戒されてしまったのでしょう。
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