胡母班 季皮(こぼはん きひ)


姓:胡
名:母班
字:季皮
生没年(?-189)
出身地:[亠兌]州泰山郡
親:
子:

若い頃に胡母班や張[L貌]などは任侠心があり、 財産に執着せずに人々を救ったため、「八厨」に数えられた。 後漢王朝の執金吾(警視総監)であり連合軍に参加している王匡 の妹婿であった胡母班を董卓袁紹に降伏を勧告し、 連合軍の解散を命じる使者として派遣した。 袁紹は王匡に命令して胡母班を投獄し、殺すよう命令した。 胡母班は獄中から王匡に手紙を送り、幼い帝の危険を顧みずに戦いを起こしていること、 親戚でもない董卓の悪事に胡母班が加担する訳がないのに 王匡と親戚になったことからこの災難を招いた、という趣旨を道理をもって批判した。 王匡は胡母班の子供を抱いて泣いたが、結局胡母班は処刑された。 後に胡母班の親戚たちは曹操と協力して王匡を殺害した。

『捜神記』に胡母班は登場する。

泰山のふもとで胡母班は泰山府君(閻魔様) の兵士に呼び止められ泰山府君に面会し、歓待された。胡母班は河伯(黄河の氏神様) の妻となっている泰山府君の娘へ手紙を届けることを依頼され、 今度は河伯のもとに赴き再び歓待された。

数年後胡母班が再び泰山の近くに来ると、挨拶が無いのも粗相と思い、 泰山府君の元に再び兵士に案内してもらった。 すると亡くなった父が苦役を強いられており、胡母班は泰山府君に父を苦役から開放して どこかの氏神にしてもらうよう頼んだ。泰山府君は「生者と死者は区別されるべきもの、 自分の身が大事ではないのか?」と怒られるが、結局頼み込んで父を救ってもらった。

しかしこの後、胡母班には身内の不幸が相次いだので、泰山府君の元に三たび赴いた。 泰山府君は胡母班の父を呼び出して、「故郷の神社で一門に幸運を授けるべきなのに 何をやっているのだ?」と尋問すると「郷里に帰った嬉しさの余り、 孫たちを呼び寄せてしまったのです。」と父は答えた。 泰山府君は胡母班の父を他の氏神と交代させた。 この後胡母班に生まれた子供は皆健康に育ったという。 (魏書・袁紹伝、捜神記巻四)


『演義』には登場しない。
董卓と袁紹の野望の狭間に消えた華の執金吾です。 (注:執金吾とは当時カッコいいとされていた役職です) 西洋にも日本にも伝わる典型的な閻魔大王のお話があったので 最近密かにマイブームの『捜神記』から要約してみました。 この話は『正史』では端折られてしまっています。
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