温恢 曼基(おんかい まんき)


姓:温
名:恢
字:曼基
生没年(?-?)
出身地:并州太原郡[示β]県
親:温恕
子:温生

15歳のときに父が亡くなると棺を故郷まで送り届けた上、残った財産は混乱の世の中であるから、 と言って一族に分け与えてしまった。このことで有名になった。各地の県長、県令、相を歴任し、 中央に呼ばれて丞相主簿となった。赤壁の戦いの直後には揚州刺史に任命された。

曹操は合肥に駐屯している張遼楽進に対し揚州刺史は軍事に通じているので協力して事に当たるように、 と指示をした。関羽が樊城を攻撃したときには、これをあらかじめ予測しており、 援軍に向かう[亠兌]州刺史の裴潜に対して適切な助言を行った。

曹丕が帝位につくと侍中に、次いで魏郡太守に任命されたが数年後45歳で亡くなった。 (魏書・温恢伝)

「演義」には登場しない。


曹操に軍事能力を認められていたようですが、軍事面での具体的な事績は伝えられていません。
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