許[シ巳](きょし)


姓:許
名:[シ巳]
字:
生没年(?-?)
出身地:
親:
子:

曹操の従事中郎であったが、張[L貌]陳宮王楷らと共に呂布 を[亠兌]州に迎え入れて曹操に反旗を翻し、呂布に仕える。

198年、曹操が呂布の篭る下[丕β]を包囲すると、袁術 に救援を求めるため王楷と共に使者となった。 袁術は「呂布は約束を破って娘を朕の元に送らなかったのだから、朕は助ける義理はない。」と言った。 そこで許[シ巳]らは「呂布が破滅すれば明上もまた破滅されましょう。」と答えた。 そこで袁術は初めて救援の構えを見せた。

後年荊州で劉表劉備、 許[シ巳]の三人で天下の英雄について議論した際、 許[シ巳]は理由をつけて陳登に傲慢だという評価を与えた。 劉表は「天下に有名な許[シ巳]どのの言葉だから正しいに違いない。」と言ったが劉備が、 「陳登のどこが傲慢なのか?」と尋ねた。許[シ巳]は 「以前会った際、陳登は賓客をもてなす主人の気持ちがなく、大きな寝台に寝て客を床に寝かしたからだ。」 と答えた。劉備は「あなたは国士という評判が高かったのに、そのような小さなことを論じている。 それこそ陳登の嫌うところではないか?私なら百尺の楼の上に寝て、 あなたを地べたに寝かせたいと思うでしょうな。」と返答したという。 (魏書・呂布伝)


『演義』では呂布の参謀として登場し、王楷と共に袁術に救援を求める使者として派遣される。 袁術に「娘を送らなかったのに。。」と拒絶されると呂布の元に戻り、娘を袁術の元に送るように進言する。
王楷と全く同じ事跡かと思いきや、意外や意外。劉備にコケにされるという役回りを演じていました。 曹操に逆らった人物は劉表や袁紹の元に身を寄せたのでしょうが、許[シ巳]もその中の一人なのでしょう。
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