198年、曹操が呂布の篭る下[丕β]を包囲すると、袁術 に救援を求めるため王楷と共に使者となった。 袁術は「呂布は約束を破って娘を朕の元に送らなかったのだから、朕は助ける義理はない。」と言った。 そこで許[シ巳]らは「呂布が破滅すれば明上もまた破滅されましょう。」と答えた。 そこで袁術は初めて救援の構えを見せた。
後年荊州で劉表、劉備、 許[シ巳]の三人で天下の英雄について議論した際、 許[シ巳]は理由をつけて陳登に傲慢だという評価を与えた。 劉表は「天下に有名な許[シ巳]どのの言葉だから正しいに違いない。」と言ったが劉備が、 「陳登のどこが傲慢なのか?」と尋ねた。許[シ巳]は 「以前会った際、陳登は賓客をもてなす主人の気持ちがなく、大きな寝台に寝て客を床に寝かしたからだ。」 と答えた。劉備は「あなたは国士という評判が高かったのに、そのような小さなことを論じている。 それこそ陳登の嫌うところではないか?私なら百尺の楼の上に寝て、 あなたを地べたに寝かせたいと思うでしょうな。」と返答したという。 (魏書・呂布伝)