胡昭 孔明(こしょう こうめい)


姓:胡
名:昭
字:孔明
生没年(161-250)
出身地:豫州潁川郡
親:
子:胡簒

戦乱を避けて冀州に非難したが、袁紹 の招聘には応じずに故郷に逃げ帰った。 曹操の招聘を受けて一応は出向いたが、 自分は一介の野人で軍事や政治には役に立たない、 忠誠は誓うだけで去らせてくれと説明した。曹操は「人にはそれぞれの志がある、 頑張って最後まで高尚な志を貫きなさい。」と言って胡昭を許した。 そこで胡昭は陸渾山に隠棲し農耕と経書講読に身を捧げた。付近の住民は胡昭を慕った。

司馬懿とは知人の間柄であったが、 司馬懿の命を狙う者を引き止めて涙ながらに説得した。 このような司馬懿への隠れた「貸し」があったのだが胡昭自身は絶対にこのことを口外しなかった。 しかし郷里では胡昭の誠実な行為は有名であった。

218年、陸渾県長の張固は男子を徴発して漢中に送らないといけなかったが、 このため地域は動揺し、関羽 は平民の孫狼に印綬を渡して反乱を起こさせた。 張固は胡昭の住居付近に陣取り守りを固めた。孫狼側も胡昭への尊敬の念から、 その地を荒らすことは無かった。

240年頃から趙儼鍾毓荀[豈頁]などが次々と招聘を上奏する。 250年には公用車を出して迎えさせたが、ちょうどそのとき亡くなった。 和やかな態度をもって誰にも愛情を持って接し、奴隷に対しても礼儀を持って接し、 表面的には世俗に同調しつつも内心では高潔な心を保ち、 それは王侯でも曲げることは出来なかったという。 また隷書の名人であり、鍾ヨウ邯鄲淳 、韋誕、衛覬らと並び称された。 (魏書・管寧伝)


『演義』には登場しない。
在野にあって人望を得て後世にも名声が伝わった人物です。 司馬懿を保護したこともさることながら、 『三国志』の成立過程である晋の時代に流行った清談、 老荘思想がこのような在野の士を特に賞賛している傾向がある点も 彼の歴史書での高評価と記述の多さに繋がっているのではないかと思います。
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