奚煕(けいき)


姓:奚
名:煕
字:
生没年(?-?)
出身地:
親:
子:

中書令だった奚煕は、賀恵のことを讒訴した。徐粲が取り調べの使者として派遣されてくると、 奚煕は徐粲が賀恵の肩を持っているとさらに讒訴した。孫晧は徐粲を処刑し、 賀恵を逮捕した。

274年、会稽郡にて孫奮が皇帝になるとの噂が流れた。 臨海太守の奚煕はこれに乗じて国政を非難する書簡を会稽太守の郭誕に送った。 郭誕は孫奮の噂のみを孫晧に報告した。孫晧はこの罪で郭誕を建安郡に流し、 船を作る役務に従事させる一方で、何植に命じて奚煕を捕らえさせようとした。 奚煕は海路を封鎖して反抗したが、部下に討たれた。

『江表伝』に引用されている別説によると、孫晧は妾を失った悲しみで半年もの間喪に服し、 盛大な葬儀を行った。人々は孫晧が死んだのだと噂し、 孫晧の一族に当たる何都が孫晧に容貌が似ていることから、彼が帝位についたのだと噂した。 これを真に受けた奚煕は兵を挙げて都に向かい、何都を討伐しようとした。 何都の叔父の何植は奚煕と戦い、討ち取った。 (呉書・孫晧伝、孫和何姫伝)


『演義』には登場しない。
讒言に反乱と悪い事ばかりかかれている人物ですが、反乱の相手は孫晧だし、 討伐されたのは呉の末期に権勢を振るった何一族ですから、五十歩百歩といったところなのでしょうか。
リストへ戻る