何植(かしょく)


姓:何
名:植
字:
生没年(?-?)
出身地:
親:
子:

姉の何姫は孫和の側室で孫晧を生んだ。 このため孫晧が即位すると宣城侯となった。 当時張布の娘、張氏を寵愛していた孫晧は、彼女が死ぬと盛大な葬式を行い、 半年以上も人前に出てこなかった。都の民衆の間にはあれは孫晧の葬儀だったのだというデマが広まった。 さらに孫晧の甥で、当時専横を極めていた何一族の何都は孫晧と顔付きが似ていたことから、 何都が皇帝になったのだというデマも流れた。 これを真に受けた臨海太守の奚熙は兵を挙げて都に攻め上り何都を討伐しようとした。 何植は兵を率いて海路を封鎖し、奚熙は配下の兵に殺害されて反乱は平定された。

279年には牛渚都督から司空に転任した。呉滅亡の際に彼がどうなったか、三国志の中には記述はない。 (呉書・三嗣主伝、妃嬪伝)


「演義」には登場しない。
呉の末期の外戚です。はっきりと書かれているわけではないのですが、孫晧の暴虐の裏で、 何一族による悪事も進行していたのでしょう。
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