ケイ道栄(けいどうえい)


姓:ケイ(「形」のへんにおおざと)
名:道栄?
字:
生没年(?-208)
出身地:
親:
子:

『正史』にはその名を見ることは出来ない。
『演義』では零陵太守の劉度の配下の武将。 劉備軍が攻めてくると、 劉賢と共に出陣した。大斧を振り回し張飛 と打ち合うが敵わずに逃げ出す。その先に趙雲が待ち構えており、降伏した。 劉備は首を切ろうとしたが、諸葛亮は 「劉賢を捕まえて渡すなら釈放しよう」と言い、ケイ道栄を放した。 ケイ道栄は陣に帰って劉賢と話し合い、劉備軍の計略の裏をかくことにした。 その夜、劉備軍の夜襲があったが、これを撃退し、ケイ道栄は追撃した。 しかし張飛と趙雲が待ち構えており、趙雲の槍に刺されて討ち死にした。
『正史』では劉度自体、一箇所で名前が出てくるだけなので、その部下については何も記述がありません。 民間伝承の中の人物なのでしょうか。
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