韓綜(かんそう)


姓:韓
名:綜
字:
生没年(?-?)
出身地:
親:韓当
子:

呉の武将韓当の息子。父が死ぬとその爵位と配下を引き継いだ。 その年孫権は石陽に軍を進めたが韓綜は父の喪が明けないので武昌の守りを任された。 その間に韓綜は淫乱にふけり無法を働いたが孫権は父親に免じて許した。 しかし韓綜は恐れを抱き227年、配下とその家族数千人を引き連れて魏に降伏した。 その後は魏の武将として呉の領地を略奪し、住民を殺害したので孫権はその度に非常に悔しがった。 252年、諸葛誕胡遵 らが東興を攻撃した際、前軍督として従軍したが、 諸葛恪の迎撃に遭って戦死した。 (呉書・韓当伝)
「演義」では魏の武将として桓嘉と共に東興郡(濡須口)を攻めるがこれを落とせず、 雪の中丁奉に討ち取られた。
「演義」では韓当の息子だと言う記述は出てきません。 呉では韓綜の首が届くと諸葛恪自ら孫権の廟で報告したと言いますから、相当孫権に恨まれていたのでしょう。
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