桓嘉(かんか)


姓:桓
名:嘉
字:
生没年(?-252)
出身地:
親:桓階
子:

父の後を継いで内親王を妻とした。楽安太守に任命された。 252年、諸葛誕胡遵ら魏軍は諸葛恪 が魏領内の東興に築いた城と堤防に攻撃を加えた。 浮橋を掛けて城を攻撃したが、これを落とせない。 諸葛恪の夜襲に遭って大敗し、桓嘉は戦死した。 (魏書・桓階伝、諸葛恪伝)
「演義」では胡遵に命じられて東興の城を攻撃するが、これを落とすことが出来ない。 丁奉の夜襲に遭い、槍を持って丁奉に挑みかかるが逆に槍をつかまれてしまい、 逃げるところを丁奉に討ち取られた。
父の桓階は孫堅に仕え、後に曹操に仕えました。おじの桓彝は呉の文官でした。 そして桓嘉は楽安(冀州)という呉からは離れた地の太守でありながら、呉との戦いに出陣し、 そこで命を落とします。桓階の一族にとって呉は因縁めいた土地であったようですね。
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