韓宣 景然(かんせん けいぜん)


姓:韓
名:宣
字:景然
生没年(?-?)
出身地:冀州渤海郡
親:
子:

小柄な人物であった。曹操に招聘されて軍謀掾となったが仕事もなく[業β]に滞在した。 ある日東掖門で曹植とすれ違った。 韓宣は曹植を避けようとしたが水溜りのせいでそれができず、扇で顔を隠して道端でじっとしていた。 曹植は韓宣が去らず礼も取らないので癪にさわり、くってかかったが結局韓宣を言い負かすことが出来なかった。 そこで兄の曹丕にそのことを報告した。

曹丕の時代、尚書郎となったが職務上の罪を犯し、殿前で刑罰を受けることになった。 曹丕は曹植と韓宣のやり取りの話を思い出して彼を許した。清河郡、東郡の太守を務め、 曹叡の時代に韓曁の後を継いで大鴻臚となったが、 職にふさわしい執務ぶりであったため「大鴻臚・小鴻臚、前後の治績がなんと似ていることよ」 という言葉が流行った。数年後になくなった。 能力は無能と有能の中間くらいであったが、よく自分を押さえて他人を許す人物であったという。 (魏書・裴潜伝)


「演義」には登場しない。
罪を犯したのにも関わらず、曹丕に会って取りたてられるという幸運を得た人物です。
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