毋丘甸 子邦(かんきゅうでん しほう)
姓:毋丘
名:甸
字:子邦
生没年(?-255)
出身地:
親:毋丘倹
子:
毋丘倹の息子であり。都で名声があった。曹芳が帝位を追われると、
毋丘甸は父の毋丘倹に、
「父上は一方面の長官として重い任務に就いております。国家が転覆しようとしているときに、
落ち着き払ってじっとしているようでは天下の人々から責められるでしょう。」と言った。
毋丘倹は息子の言葉の通りだと思った。
司馬師は毋丘甸のことを憎悪していたという。
毋丘倹の計画が実行されるということを知ると、
治書侍御史であった毋丘甸は一族を引き連れて新霊安山の山上に逃走した。
司馬師の別働隊がこれを陥落させ、一族は皆殺しとなった。
(魏書・毋丘倹伝)
「演義」でも父に司馬氏を討伐すべきだと意見するが、実際の戦いには登場しない。
一族もろとも魏に忠義の心を示した人物です。
毋丘倹が反乱を起こそうとしていた時には毋丘甸は洛陽にいたのでしょうか?
玉砕覚悟で山上に立て篭もったのかもしれません。
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