韓[王行] 子佩(かんこう しはい)


姓:韓
名:[王行]
字:子佩
生没年(?-?)
出身地:幽州代郡
親:
子:

清潔純粋で度量が広く、幼くして両親をなくしたが兄や姉に良く仕えて一門から賞賛されていたという。 焦触は主君であった 袁煕袁尚を攻撃して遼西郡の烏丸族の元に追い出し、 幽州刺史を自称した。 曹操への帰順を申し出て、「歯向かうものは斬る」と公言し、一座の者に血盟を要求した。 幽州の別駕であった韓[王行]は血をすするのを拒否し「袁公父子の大恩を受け、 主家が滅亡してそれを救う力も知略もない今、どうして曹操に仕えることが出来よう。」と叫んだ。 一座の者は韓[王行]の命を気遣って蒼ざめたが焦触は彼を許し、その場を退出させた。 曹操は韓[王行]を高く評価し、招聘しようとしたが韓[王行]は応じず、その後家で亡くなった。 (魏書・袁紹伝)
「演義」でも同じだが曹操が韓[王行]を招聘したという話は紹介されない。
数多い袁家に仕えた義人の一人です。
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